UPDATE 2015/12/14
特集
酒と肴と風土(その三)
古来日本人の生活に深くかかわってきた日本酒。そして日本各地に数限りなくある肴。この晩酌の食卓を見つめ直すと、日本の自然が浮かび上がってきます。
微生物の多様性と調和で醸す酒づくり
自然の恵みを最大限生かした日本酒づくりに取り組む酒蔵、寺田本家。酒づくりにかける想いと、自然とのつながりについてお話を伺いました。
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「自然酒」と銘打つ日本酒があるのをご存じだろうか。原料は、農薬や化学肥料を一切使わずに育てた地元の米と、蔵の井戸から汲み上げた天然水。自然由来の菌を使い、昔ながらの「生酛」という方法でつくられた酒だ。
この自然酒を生み出すのは、千葉県神崎町、利根川のほとりに建つ寺田本家。創業は延宝年間、340年を超える歴史ある蔵。蔵の自然酒の原点である『五人娘』は琥珀色に輝き、濃厚でどっしりとした野性味あふれる味わいで、まさに「酒は百薬の長」を実感させる日本酒だ。
微生物の力を最大限に活かした酒づくり
自然酒づくりを始めたのは、先代当主である23代の寺田啓佐さん。自身が大病を患ったことをきっかけに、「体に良い本当の酒をつくりたい」と、従来のアルコール添加酒や短期間でつくる方法から、古来の伝統的な方法に立ち返り、微生物の力を最大限に生かした自然酒づくりへと切り替えてきた。
「酒づくりで重要なことは、いかに微生物に良い働きをしてもらうかです」そう話すのは24代目当主の寺田優さん。寺田本家の酒の大きな特徴が、酒づくりにかかわる微生物のすべてが天然由来だということ。麹菌は自家田で採取した稲麹から自家培養した天然もの。乳酸菌や酵母菌も、市販のものは一切使わず、昔ながらの生酛仕込みにより、蔵付きの乳酸菌・酵母菌を自然に取り込んでいる。
「かつては、うちの蔵でも人工的に菌を入れていましたが、今は微生物たちの本当の力が発揮されるように、自然に湧くのを待つようにしています。お酒づくりは多様な微生物のバランスの上に成り立っています。人間の都合だけで、とにかくアルコールをつくるためにコントロールするのではなく、いろいろな微生物に、醪の中で代謝物をつくってもらう。それが人間にとって百薬の長と言われるありがたいものになるのではないか、と。自然の流れにあわせていくことが、本当のお酒づくりに近づくのではないかと考えています」(優さん)。
寺田本家の蔵見学では「麹室」と呼ばれる部屋も案内している。酒づくりのもととなる麹づくりを行う部屋で、一般に公開する蔵は多くない。「たくさんの人にいろんな菌を連れてきてもらい、それを取り込むことで、うちの菌はますます強くなります。だからどんどん入ってもらっています」そう言って優さんは笑う。多様性と調和の上に成り立つ自然のままの酒づくりが実践されているのだ。
手仕事で感じる自然の変化
微生物の働きには、湿度、温度、気温はもちろん、月の満ち欠けも影響すると教えてくれたのは、杜氏の大野考俊さん。
「新月から満月にかけての期間の方が、微生物が湧きやすいという感じはあります。サンゴの産卵も満月に行われると言いますが、お酒を醸す微生物たちもそのような力を感じているのかもしれません。データ的には同じ気温や湿度でも、夏の『気』とか、そのような類のことで発酵の具合が変わってくることもあります。科学的な理由はまだ分かりませんが、微生物たちに触れながら酒づくりをしていると、自然の変化を感じます」
これらの微妙な変化を感じるため、蔵人が直に手を触れて酒をつくる「手のひらづくり」が蔵のスタイル。ほぼすべての工程を手作業で行い、変化を五感で感じるとともに、つくり手の想いを込めているという。「つくり手が仲良く楽しい気持ちでいると、微生物はよく発酵してくれます。手づくりをすると、つくり手の充実感も大きく、楽しみが増していきますから、想いを込められる場をつくることが大切だと思っています」(優さん)
地域の生態系の中で醸される地元の酒
微生物のエサとなる原料米も重要だ。寺田本家で使用しているのは、地元農家との契約栽培による無農薬米。自家田では、『中生神力』や『千葉錦』といった地域固有の在来品種の酒米も育て、銘柄によって使い分けている。
麹菌のもととなる稲麹を採取したのも、この自家田の在来種の稲だった。
仕込みに使うのは利根川の伏流水である蔵の井戸水。蔵のすぐ裏には神崎神社の鎮守の森が控え、創業時から井戸の水脈を守ってきた。「同じ地域で育った米と菌を使って、地元の水で仕込む。ひとつの生態系の中ではぐくまれたものですから、相性は良いですし、この地ならではのお酒がつくれると思います」(優さん)
またこの地域の気候も、生酛仕込みで微生物が働くためにちょうど良いという。「生酛で酒づくりをする場合は、5~10℃の範囲で仕込み始めるのが理想です。これ以上低いと菌が動かないし、高いとほかの菌が働いて上手くいきません。この蔵では、冬の朝の温度がだいたい5~7℃なのでちょうどいいのです。ここは、もともと生?という伝統の酒づくりに適した土地だったのですね」(大野さん)
近年は、自家田での田植えイベントや、地元小学校への出前授業で、天然麹を使った味噌づくりも行っている。神崎町では、発酵の里として地域おこしも始まった。自然に寄り添った〝発酵の輪〟が広がっている。
(会報『自然保護』2013年9・10月号 特集「酒と肴と風土」より転載)